観光地の豆知識をご紹介する本シリーズ、
第2回は「飛鳥・橿原の古墳」について書いていきたいと思います!
(前回の「明日香村・史跡編」はこちらよりご覧ください。)
「天皇陵」が本当のお墓だとは限らない!?
高取町に「斉明天皇陵」、明日香村に「文武天皇陵」という、
宮内庁がお墓だと指定した天皇陵があります。
しかしここ数年の調査にて、
真の斉明天皇陵は明日香村の「牽午子塚古墳」、
真の文武天皇陵は同じく明日香村の「中尾山古墳」だという説が有力となりました。
2つの古墳の共通点は、形が八角形の「八角墳」であったこと。
明日香村の「天武・持統天皇陵」や京都市の「天地天皇陵」など国内でも数えるほどしかなく、
いずれも飛鳥時代の天皇や天皇に準ずるほどの位が高い人のみが許されるものだったようで、
牽午子塚古墳や中尾山古墳が八角墳であったことから、
これらが真の天皇陵だったという説が有力となっております。
天皇陵は「お墓荒らしになる」という理由で、宮内庁が発掘調査を認めておりませんが、
両古墳はまだ天皇陵と宮内庁が指定しておりませんので調査ができ、詳しいことが判明しました。
特に牽午子塚古墳は石室内部の様子をご覧いただくことができます。
ただの古墳ではなく天皇の陵墓を間近で見ることができるのは、実はとても貴重なことであります。
益田岩船は牽午子塚古墳を作る過程での失敗作?
橿原市の住宅街の中にある「益田岩船」。
東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル(北側)の台形状の巨石です。
上面には1辺1.6メートル深さ1.3メートルの方形の穴が2つ、側面には幅1.6メートルの溝が人工的に掘られております。
江戸時代から観光スポットとして認知されていたようですが、目的は何なのか、
かねてより様々な説があります。
石碑の台石説、占い用の観測台説、火葬墳墓説、物見台説など。。。
中でも今一番有力な説は「横口式石槨の作りかけ説」。
牽午子塚古墳として作るも途中で石にひびが入って使えなくなり、そのまま放ってあるというものです。
さて真実は何なのか、まさに古代ミステリーですね!
橿原神宮周辺には1~4代の天皇陵がある
初代神武天皇が神武東征の後に初めて都を作った地にある橿原神宮、
その境内の中に神武天皇陵があることは多くの方がご存じだと思います。
しかし周辺に、2代綏靖天皇陵・3代安寧天皇陵・4代懿徳天皇陵があることはあまり知られておりません。
初代から4代まで全て回っても約2km程、ぐるっと回って巡ることができます。
「橿原は日本のはじまり」と言いますが、4代までの天皇陵がこの場所に集まっていることって
奇跡的で凄いことであり、底知れぬパワーを感じます。
そこから少し離れた場所にも2つの天皇陵が。橿原市には計6つの天皇陵があります。
全国に112しかない天皇陵が橿原市だけで6つもあるということが、
まさに歴史ある日本のはじまりの地といえるのではないでしょうか。
(この事実を知った時、個人的に凄く感動したのを覚えております。)
約600基もの古墳が密集する公園がある
橿原神宮前駅より西へ約2kmの場所に「新沢千塚古墳群公園」があります。
ここには4世紀~7世紀に造られた古墳がなんと600基もあります!
上のMAPでクリーム色の丸・四角などは全て古墳!
大きさ・形は様々ですが、一つ一つに被葬者がいたと考えると、
現代の墓地のようなものなんだと想像できます。
こちらは国の史跡であり、出土品の一部は重要文化財として東京国立博物館に展示されております。
そんな新沢千塚古墳群公園ですが、
6月には紫陽花が咲くスポットがあり、春は一面に桜が咲きます!
(写真にあるもこっとしたものは全て古墳です。)
遊歩道や公園などが綺麗に整備され、歩くだけでも気持ちいい場所なので、
歴史と自然を感じながら是非お散歩してみてください。
このように飛鳥・橿原の古墳には様々なストーリーがあります。
それぞれのストーリーを想像しながら、日本のはじまりである飛鳥・橿原の古墳を巡っていただければ幸いです!
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