間もなく世界遺産登録となる「飛鳥・藤原の宮都」。

以前投稿した「構成資産紹介その1~宮殿・官衙跡~」に引き続き、

今回は「仏教寺院跡」の7つをご紹介したいと思います!!

飛鳥寺跡

飛鳥寺跡・本堂
飛鳥寺跡・本堂
中心塔の基礎となった石。建立当時は今の20倍の大きさでした。
中心塔の基礎となった石。建立当時は今の20倍の大きさでした。

【概要】

蘇我馬子らによって596年に建立された日本初の仏教寺院。

金堂・講堂・棟・回廊を備えた伽藍は、中国や朝鮮半島から伝わった技術が用いられており、

後の日本の国づくりにとって重要な礎となりました。

609年に開眼された釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は、日本最古の仏像です。

また乙巳の変で討たれた蘇我入鹿の首が、

裏手にある「入鹿の首塚」まで飛んできたという逸話があります。

飛鳥大仏。撮影可能です。
飛鳥大仏。撮影可能です。
入鹿の首塚。奥に見えるのが飛鳥宮跡。
入鹿の首塚。奥に見えるのが飛鳥宮跡。

【見どころ】

やはり飛鳥大仏です!

1400年以上一度もこの場所を動いたことがなく、落雷などで損傷したことがあるも、

顔と手の一部は1400年前のままだとのこと。

1400年以上もの間飛鳥を見守り続け、幾億人もの悩みや苦しみを受け止めて来られた仏様には、

圧倒的なオーラと全てを受け止めてくれるような包容力を感じます。

左右で見ると表情の変化があるのも面白いです!

ちなみに私にとって、隣の橿原市でゲストハウス開業を決意した

思い出の仏様でもあります。(その時の詳細はこちらから。)

橘寺跡

橘寺跡・本堂
橘寺跡・本堂

本堂から境内を見た様子。落ち着いた雰囲気です。
本堂から境内を見た様子。落ち着いた雰囲気です。

【概要】

聖徳太子生誕の地であり、太子が7世紀前半に建立した「建立七大寺」の1つ。

百済の影響を受けた伽藍配置であり、日本最古級の尼寺の1つでもあります。

本堂には聖徳太子坐像が御本尊としていらっしゃる他、

人の善悪を石に堀った「二面石」、天井に260点のカラフルな絵が掛けられた

「天井絵」などがあります。

人の善悪の表情を左右に分けて掘った「二面石」。
人の善悪の表情を左右に分けて掘った「二面石」。
往生院の天井に描かれた天井絵。
往生院の天井に描かれた天井絵。

【見どころ】

本堂と仏像だけでなく、不思議な石や天井絵などがあるため、

広い境内も飽きずに楽しめるのがポイント。

また桜や彼岸花、芙蓉や銀杏など、四季折々のお花も楽しめます。

何よりも仏教寺院らしい落ち着いた雰囲気を存分に感じられます!

山田寺跡

山田寺跡・全景
山田寺跡・全景

金堂の礎石の跡。
金堂の礎石の跡。

【概要】

蘇我一族でありながら乙巳の変にて中大兄皇子側についた

蘇我倉山田石川麻呂」により6世紀中頃に造営が開始、

その後孫の持統天皇が685年に完成させたという百済式伽藍配置の寺院です。

現在興福寺にある国宝「山田寺仏塔」「日光・月光菩薩」は、

元々山田寺のものだとされております。

東回廊跡。
東回廊跡。
現地の看板。
現地の看板。
飛鳥資料館内展示・山田寺東回廊出土品
飛鳥資料館内展示・山田寺東回廊出土品

【見どころ】

現地よりも先に、すぐ近くにある「飛鳥資料館」へ行き、

山田寺跡の東回廊跡から出土された「回廊そのもの」をご覧ください!

(上の写真の濃い茶色の木が、そのまま発見されました。)

腐食しやすい木製の建物が、そのまま出土されるケースは非常にレアケースであり、

しかもそれが、世界最古の木造建築・法隆寺より30年も古いものだったそう。

それを知ってから山田寺跡を見ると、在りし日の姿が想像しやすくなります!

川原寺跡

川原寺跡・全景
川原寺跡・全景

川原寺跡にある弘福寺
川原寺跡にある弘福寺

【概要】

天智天皇が亡き母(斉明天皇)の為に、縁の川原宮跡地に建立した寺院

創建は670年頃で、のちに「飛鳥四大寺」という国家寺院となりました。

飛鳥宮跡の西に立地し、発掘された塼仏などから、

当時は唐の影響を受けた豪華絢爛な寺院だったとされております。

他にも弘法大師ゆかりのお寺であり、日本で初めて写経が行われた場所でもあります。

飛鳥時代当時の金堂の礎石。
飛鳥時代当時の金堂の礎石。
綺麗な史跡整備がなされております。向かいにあるのは橘寺。
綺麗な史跡整備がなされております。向かいにあるのは橘寺。

【見どころ】

飛鳥四大寺であり豪華絢爛な国家寺院だったにもかかわらず、

創建の詳しい経緯やその後が当時の書物にほとんど残されておりません。

また平城京遷都の際に移築されず取り残されてしまったという謎の寺院。

わからないことを想像するのが飛鳥の魅力。

古代ロマンを現地で感じてみてください!

檜隈寺跡

檜隈寺跡・十一重石塔
檜隈寺跡・十一重石塔

【概要】

渡来人である「東漢氏」の氏寺として飛鳥時代に建立された仏教寺院

平安時代には十一重石塔(重文・上部は欠けております)が造られ、

鎮守社として隣に於美阿志(おみあし)神社ができたと言われております。

百済寺院と同じ特徴を持つことから、東アジアとの交流が色濃く反映されております。

於美阿志神社
於美阿志神社

【見どころ】

飛鳥の文化や当時の日本の国造りにおいて、

中国や朝鮮半島の影響が強かったということがよくわかります。

隣国同士のつながりを、現世においても大事にしたいものだと感じる場所です。

大官大寺跡

大官大寺跡
大官大寺跡

【概要】

藤原京の条坊内に建立された、日本初の国家寺院跡

飛鳥藤原エリアで最大の面積を誇り、九重塔は国家のシンボルとして建設されるも、

平城京遷都後は「大安寺」が役目を担い、その後すぐの火災によって

ほとんどの伽藍が消失してしまったそうです。

わずかな土壇が残るのみ。田園風景が綺麗です。
わずかな土壇が残るのみ。田園風景が綺麗です。

【見どころ】

天皇家発願として初めて建てられたお寺であり、

九重塔はあの京都・東寺の五重塔よりもはるかに高いものだったそう。

国家寺院としてはこの大官大寺→大安寺と受け継がれ、

聖武天皇による東大寺建立をもって、国家統一を果たすことになりますが、

そのきっかけとなった、ここもはじまりの地であると言えるでしょう。

本薬師寺跡

本薬師寺跡・礎石①
本薬師寺跡・礎石①

本薬師寺跡・礎石②
本薬師寺跡・礎石②

【概要】

大官大寺と同じく藤原京の条坊内に建立された国家寺院跡

天武天皇が持統天皇の病気平癒を祈願して建てたとされ、

金堂跡には当時の礎石がそのまま残っております。

平城京遷都後は今の「薬師寺」となりますが、今の薬師寺と同規模だったそうです。

本薬師寺跡・碑
本薬師寺跡・碑

【見どころ】

奈良市内にあり世界遺産の薬師寺、

元々はこの住宅街の中にあったなんて、ちょっと想像がつきません。

それでも確かに残る礎石や土壇から今の薬師寺を思い出すと、

当時この地に都があり、国の中心があったんだということが実感できます!

本薬師寺・東塔跡の土壇
本薬師寺・東塔跡の土壇

次回はラスト「墳墓編」をご紹介したいと思います!

奈良も暑い日々が続きます。観光の際は熱中症対策をお忘れなく!

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